鯨につられて廟口
与那国島(ドゥナンチマ)からは、天気がよいと台湾の山並みが見える。その距離111キロ。昔から台湾と往来があった島だ。そんな縁からか与那国は台湾東岸の花蓮市と姉妹都市提携をしている。
海続き
与那国と花蓮を舞台にした、海の物語がある。『鯨生』(げいお)という影絵芝居だ1。リン・モンホワン(林孟寰)が作り演出、島出身の映画人東盛あいか等が出演し、上演しているのを見たことがある。与那国語(ドゥナンムヌイ)で語られ、日本語字幕が付いていた。この影絵劇はその後も折に触れて巡業しておりこの秋には花蓮でも上演されたときく。
「鯨生」の物語は、与那国島出身の父と台湾サキザヤ族の母の間に生まれ(湾生=日本統治下の台湾で生まれた日本人)、花蓮で暮らしていた娘鯨生が年老いて、子供のころの記憶を語り始める。「わたしがお腹の中にいた時、母さんは夢を見た。それは竜宮城の夢…」与那国島、台湾、海の神様、くじらの使者、山桃の木、果たされなかった約束と悲しい別れ。美しい影絵と音楽で彩るおとぎ話のような世界が広がる。それは、失われゆく島の言葉、原住民の言語を繋ごうとする取り組みでもあった。
行ってみるべ
まずは小籠包
夕方、てくてく宿に着くなり、女将に「この近くに美味しい小籠包の店があるから行きなさい。テイクアウトもできるから。」と申し渡される。日本語でしゃべっていても、直球で押しの強い感じが中国語話者っぽい。
実はこの女将、観光タクシードライバーもやっている。「明日とくに予定がないのなら、花蓮に来たらまず見るべきところに連れて行ってあげます。清水の断崖、太魯閣峡谷(タロコ)見学、七星潭」。こちらとしては市場と松園別館を訪ねるくらいしか考えていなかったので、その強引プランに乗ることにした。ぐるっと回った後、松園別館で降ろしてもらえば、午後は市内散策ができるはず。
「台湾は大きく4つの民族に分かれます。原住民、漢人、客家、外省人ですね。」「原住民は9つ、今は16に分かれています。」
本省人と外省人という区別はきいたことがあるが、4つなんだ。宿女将はたぶん「漢人」なんだろう。その口調に、客家との微妙な距離感、外省人には一過言ありそうな雰囲気を醸していた。
翌日の予定はさておき。まずは花蓮名物の夜市だ。18時ごろからやっているというのででかける。小雨の後で人影はまばら。花蓮近郊のいくつかの原住民族たちの屋台が並ぶ原住民街をひやかし、原住民阿美族の竹筒飯と酥烤麻糬をビニール袋に入れてもらう。
よっし、小籠包買わないと。
ずんずん進むと、暗くなった道脇に廟の赤い明かりが眩しい。手前に塔。その下に檳榔屋かあ。檳榔を噛む文化はアジア地域全般にあるけれど、ここも昔からの風習かな。
じゃーん。
花蓮に来る途中の車窓からも、派手な廟がいくつも現れた。だいたい道教の廟だという。ヒンズー寺院も派手だけど、道教の廟も負けず劣らず、極彩色の中にてんこ盛りの物語が垣間見える。守り神的ななにかかなあ、とついぞ中にも入らず、お参りに来たらしい家族連れに道を譲って、小籠包を目指す。
小籠包屋は、廟の向かいにあった。公正包子。面している通りが公正通りなので、「公正」包子。
少し時間帯がずれていたせいか、テーブル席は満席だが、なんとなく落ち着いた風情。店の奥というか手前で、白い服着たおばちゃんたちがわいわいと包んだり、蒸したりしている。こういうのは、絶対に美味しいやつだ。
カウンターにいって包子4つください、という。1個5元。日本円で25円。4つで100円。
宿女将に「6個セットだが2個で十分だから」といわれていたのに、結局4個も買う。ああ、さもしい。旅に出るとどうしてこうなるのか。
他にも、メニューには酸辣麺やビーフンなどが並んでいる。35元くらいだったか。テーブル席では麺を啜る姿。ああ、胃袋が2つあったら。
宿に帰って早速食べる。日本の肉まんの半分くらいのサイズのふかふかの包子。ビニールに入れてくれたタレをコップに出して、浸して食べる。絶品!美味!あったまる!
そういえば、宿女将は「小籠包」といっていた。しかし、こちらが思い描く小籠包は、中にたっぷりのスープが入った姿だ。だが、ここのは汁なし。肉包子、つまり「小肉まん」と呼んだ方がしっくりくるのでは?ミニサイズの肉まんも小籠包と呼んでいいのか。肉まんといえば、神楽坂の五十番の肉まんは、かなり大きいが、実はあれが通常サイズなのか?そういえば五十番も毘沙門天のそばにあったっけ。
公正包子の斜向かい、廟前塔下には檳榔屋も開いていた。ここも店名に「廟口」とついている。ここまでくると、廟のブランド力、というか街の生活の中心感が一層強く感じられる。
モーニングに甜湯紅茶
翌朝、廟の前をとると、『公正包子』はまだ空いてなくて、廟の斜め向かいの『廟口紅茶』が空いていた。こんなふうに、朝昼晩と空いている時間が違う食べ物屋が軒を並べているのは、豊かだなあと思う。
廟口紅茶屋をやり過ごして、まずは朝の市場を素見しにいく。地元の人たちが何を食べているかを見るには、兎にも角にも市場にいかないと。
来てみれば、食材は沖縄の公設市場っぽい。肉類は豚、鶏。鶏は丸のまま足を上にして並んでいる。頼むとカットしてくれる。魚は1匹づつもあるが、切り身になっているのもある。すり身を団子にして鍋に入れる具材として売っている店も。野菜コーナーの一角に、オオタニワタリやタームー、細い筍など、果物はりんごやみかん、ドラゴンフルーツ、パイナップル、グワバとカラフル。市場の中にも小さな祠、朝ごはん屋も空いている。食材豊か、人は少なめ?時間帯遅かったか?
あとで宿女将に「私は公設市場には行きません。高いから。外で買います。」とキッパリ言われる。あー、所場代かかるから。たしかに大通り沿いの八百屋とかのほうが、量が多めで安かった。
さて朝ごはん。廟口へ戻る。
紅茶屋さんなんだから、紅茶を頼めばいいのに、日和って「熱紅豆湯」を頼む。60元 (300円)。そのまま喋り倒されてもよくわからないんですが、という顔をすると、ようやくそうか日本人なのか?という対応になる。窓口で注文して、食券もらって、ぼーっとしていると、そこに座れといわれる。丸テーブル席。隣のおじさん、食べ終わって、自転車で帰って行った。お椀いっぱいの赤い湯。すくってみればお善哉ですねん。ほどよい甘さで、朝食なのかオヤツなのか。甜湯、美味。
カウンターにあった菓子パンっぽいもののコーナー、あのなかにどうやらおしゃれな台湾風マカロンみたいなものもあったらしい。メニュー選択に失敗したみたいだけれど、おぜんざいは美味しかった。宿の女将からは、「ん、紅茶飲んでない?どうせならピーナツの「花生湯」にすればよかったのに」ともいわれる。大陸からやってきた味なんだろうが、こういうのを「古早味」(昔ながらの味)と呼ぶらしい。
「ランチなら美味しいワンタン屋さんがある」と扁食専門店を勧められたのだが、そこは本当にランチしかやっていなくて時間があわず断念。予習せずにぶらぶらして、目の前にあるものでなんとかしようとする。そうすると、たいていこういう地元名物を食べそびることになるんだよね。まったくイケてない旅人(たびんちゅ)である。
(※花生湯はあとで台北で食べた。油條浸して食べる冬の名物。こちらも美味だったけど、紅豆湯派かな)
一方、「廟口紅茶」で飲みそびれた紅茶。「台湾の紅茶はとても甘いです」と宿の女将がいっていた。台湾といえば、ウーロン茶など発酵系のお茶を優雅に嗜むイメージ。あるいは最近流行っているタピオカミルクティー(珍珠奶茶)あたり。 実は、紅茶の木は、日本統治時代に、インドのアッサム地方から日月潭周辺に持ち込んだとか。国内消費ではなく日本や欧州への輸出用。99年の大地震で被災した日月潭の復興事業として紅茶が再注目されたのだそう。
地震といえば、2024年の4月3日の地震は、太魯閣峡谷でも大きな被害が出た。ビジターセンターでは、被災と復興のビデオが流れていた。その横で、日治時代にに、金と観光開発などから、太魯閣族らと衝突した歴史が展示されていた。
日治と地震、紅茶の一杯に、統治と復興の香りが漂っている。
廟のある一角をぐるっとまわって裏側に。食べ物屋がない。人通りもまばら。あまりに閑散としていて廟口とは対照的だ。そこには長老派の教会があった。廟と同じ祈りの場所なのに、とても静かだ。
この静けさ、あとで見た原住民族の村や墓地の風景につながっていくのだが、この時点ではまだ気づいていない。まあ。
後から調べてみるべ
廟口でしたたかに抗う
賑わっていた廟の名前は、花蓮城隍廟 Hualien Chenghuang Temple。
城隍爺(城隍神)(じょうこうしん)を主神として祀る歴史ある道教の廟だった。城隍爺は土地の守り神であり、裁く神であり、縁結びなど仲介する神でもある。守る土地によって神にも階級があるそうだ。お役所勤務?そうすると廟口の店は、役所前の中華屋と喫茶店といったところか。
この廟、台湾の日本統治時代に、取り壊しの危機にあったという。当時、日本統治当局は、漢人神を祀る廟を撤去しようとしていた。そこで住民たちが考えだしたある「工夫」。城隍爺の神像に、鄭成功の「帽子」を被せたのだ。ここに負わすのは漢人神ではありません、れっきとした正統派神様ですと。
で、その鄭成功 (Tēⁿ Sêng-Kong) って誰?
中国明代の軍人で、台湾では今も英雄とされているらしい。でも、肥前国の平戸島生まれ。母親は平戸の人で、父親は泉州出身の役人。のちに台湾にわたり、清と対抗し、オランダ東インド会社を討ち払ったことから、台湾では、孫文、蔣介石と並び「三人の国神」の一人として尊敬されているのだそうだ。日本では、近松門左衛門の『国性爺合戦』のモデルになった人といえば通りがよいかも。一説によると、本人は、混血であることにコンプレックスがあったらしい。
ほうっ。
住民たちは、帽子を被せた神像をもって、「この廟は、ほら鄭成功を祀っています」と言い張り、名前も「鄭聖祠」と改名する。戦後、帽子は外されて「城隍爺」に戻し、廟の名前も「城隍廟」に戻す。が、今も鄭成功は合祀されたままだという。
帽子を被せて言い逃れ。生き残るための「擬態」。合祀とはいっても神仏混合とはまた違う。正面切って逆らわず、でも芯は消されないように、ぶつからずに「ずらす」、そんなやり方だと思った。
祈りの対象の像といえば、隠れキリシタンの子安観音像もそう。聖母子に見立てた像は、実は中国沿岸で作られた観音像で、媽祖の影響ありといわれる。こちらは「帽子を被せる」のではなくて、観音に「子どもを抱かせる」。母と子のセットであれば子安も聖母子。自らの解釈をずらして祈ったのか。
城隍神を祀る廟の周辺には、屋台や食堂が集まることが多いそうだ。台湾で有名なのは新竹都城隍廟や台北霞海城隍廟(迪化街)。「街の守護神」として参拝客への「おもてなし」や、人々の生活の支えとして、伝統的な軽食店が自然と集まってくるのだと。
なるほど!だから廟口的包子和紅茶なわけだ。
舌鼓を打つんじゃなくて、思わず手を打つ。
密やかに言葉を守る
廟口の賑わいと裏腹だった教会側。花蓮市内を巡れば、すぐにいくつも教会が見つけられる。「原住民の村には教会が多いです。」と宿女将。太魯閣峡谷の入り口や、太魯閣族が住む村を通った時、たしかに教会が多かった。七星潭の側にあった墓地には、十字架を掲げたものも多かった。結構クリスチャンは多いのかもしれない。
道教が漢人の信仰とすれば、キリスト教は原住民族に寄り添ったのか。 キリスト教は、伝えることを使命とする宗教だ。伝えるためには、相手の言葉を理解する必要がある。
日本にキリスト教が伝来した16世紀、聖書の教えは、まず現地語(上方言葉や長崎の言葉)に訳された、ローマ字本や国字本が作られたのも、布教のためだという。
台湾も然り。原住民族の人たちは、聖書の言葉を自分たちの言葉に訳した。それまで文字を持たなかった人たちが、アルファベットを使ってはじめて自分たちの言葉を記すことになったのだ。それが、彼らの母語を残すことにつながった。母語で讃美歌を歌う姿がテレビに映っていた。これもあり。
実は、台湾の学校で使われているのは「國語」--(標準中国語、Mandarine Chinese)だ。台湾語(ホーロー語)、客家語、原住民族の言語などは、長らく学校教育から遠ざけられてきた。そんななかで、台湾の長老派教会は、台湾語での礼拝を大切にしてきたという。本省人が政治経済で活躍しはじめて、ようやく教育の現場にそれぞれの言葉が戻りつつある。しかし、家庭では使われてきたはずの母語が、若い世代には通じなくなっているそうだ。 宿女将の息子が「北京語しゃべれる?」と日本語で聞いてきたのも、そういう背景だったのか。
廟口の賑わいと、教会前の静けさ。どちらも、この土地の人々が生き延びるための形なのだろう。漢化や日本の統治、独裁の時代を潜り抜けながら、人々は、食べる場所と言葉を使い分け、祈る神を選び直してきた。階級性のある土地神ワールドと、神の前にフラットな信仰ベースの教会。包子と紅茶、母語の讃美歌。生活の中の、それぞれのささやかなレジスタンスとサバイバル。
檳榔の血、根を張る土着
「タクシー運転手はみんな檳榔をやります。」
と宿女将兼観光ドライバーは、そういって笑った。
「やってきた外国の人が、台湾の人たちはとても健康状態が悪い。だってみんな血を吐いているじゃないか
といったそうですよ。」
檳榔を噛んだ運転手が窓から赤いツバを吐くのを見て、それを血だと思ったらしい。
なるほど。檳榔は石灰と一緒に噛むと、真っ赤に変わる。口の中は真っ赤だ。
眠気覚ましになる。依存性がある。口腔がんの原因として取り沙汰されている、その話は私もよく知っていた。
いわれてみれば、たしかに道路沿いに檳榔屋が並んでいる。みわたせば、檳榔の木は、そこら辺に生えている。大陸から漢族系の人たちが海を渡ってくる前から、この土地にあったものだ。
原住民の人たちは檳榔を嗜むだけではなく、大切な儀式や祭事に使った。
健康にいいとか、悪いとかではなく、存在自体に意義がある。
檳榔は、土地に根を張り、その噛み汁は血のように、大地という身体を流れているのかもしれない。体が覚えた記憶はなかなか消えないものだ。
帰りの切符を予約しないまま駅へ。案の定、台北行きの自強(急行)は満席で、2時間待つことになった。
列車を待つ間、頭上を戦闘機が通過していく。耳をつんざく音。それにしても低すぎでは?地図を確認すると、ちょうど線路の先が机場の滑走路になっていた。演習中らしい。F-16だろうか。単機、複機で何度も通過していく。
あんなに爆音で振れているのに、地元の人たちは誰も気にしていない。
台湾の西側が、大陸に向いた表の口だとすると、花蓮のある東側は、裏側の絶壁の頭だ。山が迫り、目の前は落ち込んだ海。アクセスは悪い。その不便さこそが、いざというときの「拠点」になる。
北の清水断崖、裏手の4000m級の中央山脈。
地政学的に重要な拠点として、位置付けられてきたのだろう。山の地下にはきっとシェルターがあるに違いない。スイスのように。辺境であるが故に、サバイバルの拠点に。
宿でテレビをつけると、NVIDIAのJensen Huangが来台中とのニュースが流れていた。にこやかに話すその横には、TSMCのドン、Morris Chang の姿も。
半導体。AI。
最先端のハイテク技術で世界のハブになることで、世界の荒波に抗う。
「シリコンの盾」を手に入れた台湾。
それでも、防衛のための準備を欠かさない。戦闘機の爆音は、切実な防衛への叫びに聞こえてしまう。
改札の前に、中学生くらいの子たちが集まっていた。引率らしきおばさんが、日本語で声をかけている。
「ほら、お世話になった皆さんにご挨拶して」
おずおずと握手をしあっている子たちは、与那国の子たちだろうか。
台湾のほうが沖縄本島より近い島々。
最西端の与那国島の最西端の久部良は、自衛隊の基地ができるまで、日本のレーダーの圏外だった。冗談ではなく。
基地ができて10年かあ。島は、改めて台湾と向き合おうとしているようだ。
湾生の鯨生から次の世代へ
人と人とのつながりは、新たな物語になり、語り継がれていくのだろうか。
しなやかに生き延びるための、レジスタンスの知恵が、海をはさんで、花蓮と与那国で、これからもやりとりされていくのだろうか。
帽子、聖書、檳榔、シリコン。言葉、芝居、歌、鯨。
天気が悪く、視界も不良。海の向こうも、裏の山の稜線さえも、雲の中。それでも、爆音の向こうには
空続き
そして、
海続き。
Note:
影絵芝居『鯨生』https://www.doll-museum.jp/11564
公正包子 https://tabelog.com/taiwan/A5401/A540101/54002031/dtlrvwlst/
廟口紅茶 https://tour-hualien.hl.gov.tw/jp/TourContent.aspx?n=336&s=5681
ドチリナ・キリシタン Doctrina Christa (wikipedia)
【東アジアのリアル】 台湾のキリスト教 長老教会と独立派との蜜月関係 藤野陽平 2017/11/10 https://www.kirishin.com/2017/10/13/9323/



素晴らしい旅行記ありがとうございます🥰
花蓮行ったことなくて、とても面白かった!!
強権への対抗の知恵が散りばめられていて、とても刺激的でした💖